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■新しいもの              6月30日(月)

 6月ももう終わります。キルト結をはじめて、四ヶ月が過ぎ、その間にいろいろなことがありました。

それにしても、キルト結は品物が変わらない。つまり、売れていない。<苦笑>
これではいけません。というわけで、友人のショップの型紙を提供していただきました。ショップはメイプルさん。可愛い小物の材料セットを横浜キルトウィーク等で販売しています。今回は型紙ですが、今後も仲良くしていただきたいと思っております。

 お出かけのうっとうしい梅雨のこの時期、おうちでちくちく、いかがでしょう。


■パソコン                6月27日(金)

 ちょっといろいろありまして、日記も更新していない状況。いえなに、店主が風邪を引いたわけでもなく、日常が多忙であったと言うことでもありません。このところ、色々な方とメールのやりとりがあり、それのほうにかまけてた、というだけのことにすぎません。

 しかし、不思議なものです。わずか8ヶ月前、店主はまうすってどこについてるの、クリックってどうするの、と娘に聞いていたのです。それが今では自分のサイトを持っている。日記など書いている。

 店主と同年代の方々にはパソコンアレルギーがあるのですが、克服するのはそう難しいことではありません。「よい友人」と「自分のやる気」があれば、大丈夫。それが証拠に店主のようなものでも一年も経たずに、いえ、半年も経たずにホームページも作ることが出来る。店主は学生時代「物理」も「数学」も大嫌いでした。ゆえに、パソコンなんて判るはずが無い、とおもっておりました。

 でも、今のパソコンはソフトも色々あるし、デジカメも発達しているし、やれば出来るものです。店主はほぼ毎日パソコンを開いています。

 問題は一つ。運動不足に陥る可能性がたかいこと。おやつを横に置いてパソコンなんて、絶対にいけません。<笑>

 さて、もう一本、メールを出して今日はおやすみなさい。


■りんく                   6月23日(月)

 北原白秋作詞山田耕作作曲だつたと思うのですが、「待ちぼうけ♪」という歌があります。非常になまけものが、ある日偶然にうさぎがとれたことに気をよくして、あるはずもない偶然を期待してうさぎがかかることを待ち続けるうたです。

 店主も「なまけもの」ですので、お客様がなかなか来ないサイトの手入れも怠りがちです。また、宣伝も何もいたしません。「まちぼうけ」です。

 しかし、昨日発売になった「パッチワーク通信」に「きもの幸造」さまがサイトを紹介されていました。、

ん?
「きもの幸造」さまには相互リンクを張っていただいております。
これは「お客様」がこられるかも。待ちぼうけの甲斐があったかも、などと不届きなことを考えている店主。

 いえ、お客様は「うさぎ」ではありません。トンでもない。お客様にはこんなサイトまで、わざわざお運びいただくのですから、何でもいいから、来てよかったなと感じていただけるとうれしい。事典なども利用してくださるとうれしい。

 お客様がこられたときに、お店がほこりかぶっていてもなんだし、などと急にいそいそとし始めたりしております。<笑>

掲示板への書き込みでも、直接メールでも、なにかございましたら、是非おっしゃってくださいませ。あたうかぎり、やらせていただきます。


■事典                     6月20日(金)

 quiltのいろいろなサイトがあり、それぞれに作品があったり、商品があったり、作り方の説明があったりします。でも、なかなか「用語説明」のサイトはないようです。

 ということで、quilt結では「キルト事典」をコンテンツに加えることにいたしました。いずれ、サイトそのものの手入れをと考えておりますので、まだ、項目も少ないですし、ページのビューもきちんとしておりませんが、当面はこれで。キルトにかかわる方々の何かのお役に立てれば幸いです。

 皆様より、このようなことについて知りたいとか、これの説明は間違っているとか、あるいはもっと説明が欲しいなどなど、ございましたら、店主まで、ご一報ください。出来る限り調べて、お答えしたいとおもいます。そして、「キルト事典」を充実させていけるといいなぁと考えております。


■布                      6月20日(金)

 木綿の布を私達はキルトによく使います。そして、その布の数々はほとんど機械織りの大量生産で、それも最近ではキルトのために新しい布が織られています。それも一つの時代であり、キルトというものの意味も昔とは違うのも当然と思っています。しかし、かつて、布は家庭で織られるものでもありました。

 ほんの数十年前に、日常的に家族の衣類を手織りで織り上げていたのは何も特別な人たちではなく、ごく普通の人々だったのです。このような布をたまにキルトに使うことができることがあります。そのときは神妙な気持ちになります。なぜか、もうこの世にはいない織り手に敬意を表したいと思うのです。

 木綿と言う布が、庶民の布としても一般的になったのは明治以降のこと。15世紀ごろ、朝鮮を経由して中国から伝来した木綿の布はインドの更紗をはじめ、中国の間道など、非常に贅沢なものだった。そして、16世紀初頭から、日本でも綿の栽培が始まりますが、木綿が貴重なものであることは変わりませんでした。木綿を栽培し、糸を紡ぎ、染め、機織をして一枚の布に仕上げる布は当時は織り手のものにはならなかったのです。江戸時代になっても、庶民の贅沢は「木綿の晴れ着」であったと言います。

 江戸、明治とは言わず、昭和のものではありますが、母が残したものの中に、絣のはぎれがありました。それが手織りのものであるのかどうか、目のない私にはわかりません。しかし、このはぎれは私の祖父が着た着物であり、私の母の兄弟、つまり、私のおじが学生時代に着た着物だったものです。藍染木綿の亀甲絣。分厚くて、でも、洗い晒されて藍の色が程よく落ち着き、着物分の量が残っていれば、着物に仕立て直してまだ着ることができそうな、糸弱りのないものです。

 いつか、この藍染の布を使ってキルトをつくります。そのときには母の鋏でこの布を裁ちましょう。しかし、もう少し先のことになりそうです。まだ、この布に鋏を入れる気にはなれないのです。


■歴史                     6月15日(日)

 キルトに関連する映画と言えば、ウィノナ・ライダーが主演した「キルトに綴る愛」(How to make American Quilt)ですが、そのほかにもキルトはいろいろな映画に使われています。ただし、これはアメリカでの話。アメリカにおいては、キルトは歴史的な文化遺産であるという認識が非常に高いですから、当然と言えるでしょう。また、実際の生活の中で、単なる装飾としてではなく、作られ、使用されてもいるのですから。

 翻って、日本においてはどうでしょう。1975年に資生堂の招聘により、ジョナサン・ホルスタイン夫妻のコレクションが紹介されたことをきっかけとして、それまでも細々とは作られていたアメリカン・キルトが一気にブームとなっていきました。店主もそのコレクションをきっかけに、キルトに興味を持った一人ですが、日本での本格的なキルトブームは、花の万博以後のことでしょう。そして、続々とキルトの雑誌も刊行され、世界的に見ても日本はキルト人口の多い国となっていきました。

 そして、この「アメリカン・キルト」を追い求める過程で、日本人キルターは「日本人のキルト」や忘れてしまっていた「日本の布」、そして、布にまつわる「文化」をも再確認してきました。

 しかし、「生活のなかで」使われるキルトというには、まだ、「趣味のもの」でしかないキルトでもあります。それは「アメリカン・キルト」を文化として輸入したのですから、仕方がないかもしれません。でも、キルトを現在作っている人たちが、キルトの歴史をつくっているのでもあります。

 私達のキルトの歴史は浅い。それはまだ、社会的になにものであるかというような問題にはなりえない。でも、確実に私達の作るキルトは「日本人の女性がどのようなかたちでつくっていたか」という歴史を刻むものになる。私達の「HEARTS AND HANS」はどのようなものになるのでしょう。

 キルトというものには、それだけの可能性がある、と店主はおもっています。


■梅雨                     6月14日(土)

 雨が続くようになると、理由もなく憂鬱な気分になります。部屋の中も湿度が高いせいで、べたついています。東京では今日は30度を越す真夏日でもありましたが、洗濯物も乾かない。店主の悩みのたねが一つ増えます。

 今日はさくらんぼを買いました。少しでも気が晴れるように。さくらんぼは可愛くて、食べるのがもったいない。でも、さくらんぼが大好きな娘があっという間に食べてしまいそうです。

 桜桃といえば、忘れることのできない作家が「太宰治」。学生時代は彼の作品が大嫌いでしたが、最近は良い作家だと思うようになりました。桜桃忌も、もうじきです。


■ケルト                    6月13日(金)

 イェーツのことなど書きましたが、ケルトに関連することでケルティックまたは、セルティック文様というのがあります。この日記をよんでくださるような方はご存知かも知れませんが、これは縄を編んだような連続模様で、最近はキルトの世界でも取り入れられるようになりました。

 バイヤステープで模様を表現します。ケルトの独特の模様以外にも新しいオリジナルの模様を作ることもできます。6月のtopの作品が店主オリジナル・セルティック模様です。

 始まりも終わりもなく、縄目が複雑に絡み合って作られる模様はケルトのドルイド僧が考案したものだと言われますが、とてもうつくしい。店主は一時期セルティック模様を集めたことがあります。小野山たか子先生の教室でもオリジナル・セルティックのキルトが数多く作られています。

 セルティックの飾り文字で書かれた聖書、「ケルズの書」「タ゜ロウの書」「リンドスファーン福音書」はなかなか外部に公開されることはありませんが、数年前、日本に来たことがあります。「空間恐怖症」なのではないかと思えるほどの、模様で埋め尽くされた聖書は圧巻でした。

 2001年AQSコンテストグランプリのモチーフは「ケルズの書」でした。

 ちょっと思い出したので、今日の日記、追加です。


■イェーツ                   6月13日(金)

 日付を入力して、今日は13日の金曜日であることに気づきました。別にこだわるわけではないので、何か悪いことが起こるのではないか・・などと考えることは無いのですが、キリスト教圏では言うならば「仏滅」みたいな感じなのでしょうか。

 今日は何の記念日でもない一日、なのだそうです。毎日何かの記念日である様相ですが、そんな日もあるのですね。でも誰かの誕生日ではあるはず、とちょっと調べてみたら、アイルランドの詩人イェーツの誕生日でした。

 イェーツという人はアイルランドのケルト文芸復興に多大な功績を挙げた詩人です。英語でもいろいろなものを書いた人ですが、ゲール語でも書きました。歴史的にはゲール語と言うのはおとしめられた言葉だったのです。最近では音楽のほうでエンヤが世界的に人気を博し、店主もこの人の音楽は大好きなのですが、ケルト文化についても、さまざまに取り上げられるようになりました。そのルーツの一つが詩人イェーツです。翻訳されたものもたくさんありますが、それはご紹介できません。でも原語なら、没後74年経っているし大丈夫かな。

ということで、梅雨の憂鬱な雨間にイェーツの詩をひとつ。

 「He Wishes for the Cloths of Heaven」


 Had I the heavens' embroidered cloths,
 Enwrought with golden and silver light,
 The blue and the dim and the dark cloths
 Of night and light and the half-light,
 I would spread the cloths under your feet:
 But I, being poor, have only my dreams;
 I have spread my dreams under your feet;
 Tread softly because you tread on my dreams

どなたか、じょうずに翻訳してくださいな。

clothsと言う言葉があるので、ちょっとご紹介。


■きもの幸造さん              6月10日(火)

 quilt-結のリンクページに「きもの幸造」さんをご紹介させていただいています。こちらは鹿児島の本場大島紬のおみせ。この、「きもの幸造さん」のサイトには゜作品募集゛のコーナーがあります。店主も、4月のtopページ作品の「さくら さくら」を応募させていただきました。

 そして、なんと、店主の作品が掲載していただけることになりました。「きもの幸造」さん、ありがとうございます。また、「ごほうび」ということで,大島紬のはぎれまで、頂戴いたしました。

 美しい光沢の大島紬。頂いたはぎれで、さて、なにをつくろうかと、布をなでてはついうっとりしている店主です。

 皆様も、「きもの幸造」さんの゛作品募集゛コーナーに応募されてはいかがでしょう。

 詳しくは、リンクページから「きもの幸造」さんのホームページへどうぞ。


■バティック再び               6月8日(日)

 今日は店主の末娘の誕生日。彼女もハタチになりました。ささやかにケーキで祝って、「今日からはお酒解禁ね」
実は我が家で一番お酒に強いのが末娘。大学生になってからは、コンパだの何だのですでにお酒はテスト済みです。だからといって、そんなには飲めないと思うのですが、わからない。結構飲めるのかも知れません。まあ、ほどほどに。

 さて、末娘の誕生日であるにもかかわらず、店主は昨日のバティックのお店で、今日はインドネシアの染織の専門家であられる、渡辺万千子先生が講演をされると聞き込み、出かけました。といってもごく近所の団地の集会所ですが。

 そこで、先生のバティック、古くはジャワ更紗といわれた布のコレクションをみせていただき、30年間毎年通っているといわれるインドネシアの貴重な写真の数々もスライドでご紹介いただきました。

 バティックは本来王族のもの。王宮から出ることを許されなかった、姫や妃が製作したものだとか。王宮の中に工房があったのだそうです。一般庶民がバティックをまとうようになったのは近代になってからとのことでした。

 しかし、見せていただいたバティックのすばらしいこと。普段、大量生産のプリント布に囲まれている私達ですが、人間はキカイよりも素晴らしい仕事ができるのだと、改めておもったことでした。


 

■バティック                  6月7日(土)

 近所に小さなギャラリーというか、手仕事のお店があります。夕食の買い物にいくルートを少し変えると、この店の前を通ります。

 きょう、その店の前を通りました。すると何かが私を呼ぶ。なんでしょう。

 それはバティックの一枚でした。バティックとはインドネシアで作られるろうけつ染めの布。そのほとんどは腰に巻く民族衣装に使われます。インドネシアは染織の宝庫。バティックはその一つに過ぎません。しかし、文様の種類の多さ。色使いの巧みさ。手仕事の技術の確かさ。どれをとっても素晴らしい。手描きのもので、手の込んだものは製作に一年かかるといわれます。それもむべなるかな、と思わざるをえない素晴らしいものが、インドネシアではまだまだ作られている。そのことに感謝します。

 インドネシアの政情もなかなか複雑です。経済情勢も厳しい。しかし、人々はまだバティックを作り、その技術と伝統を守り、その上で新しいものを生み出しています。

 一枚のバティックは、貝やヒトデ、海草の模様に染められて、日本の一角にたどり着き、そして風にゆれつつ、店主の目を奪ったのでした。


■千人針                   6月6日(金)

 森南海子さんがエッセイで千人針のことを書いておいでです。女たちが決して縫ってはならなかったものであると。

 千人針というものを店主も直接には知りません。千人針をご存知であったり、実際に縫ったことがある方はもうずいぶん少なくなっておいでではないでしょうか。それは「武運長久」「弾を止める」ということを願い、夫や息子、兄弟のためにつくられたものです。

 晒に一針縫って玉止め。それを千人の人に縫ってもらうのです。ただの直線のものもありますし、虎の模様に作ったものもあります。「虎は千里を走る」といいますし、虎は強さの象徴でもありました。また、「武運長久」という文字にしたものもあります。そのデザインは千差万別です。ただ、一つ、こめられた思いは全て同じでした。「無事に帰ってきますように」そう願いつつ、千人に一針ずつの縫い目と玉止めを頼んだのです。

 女たちの哀しい思いです。しかし、それは同時に「戦争に送り出した」ものの思いです。ゆえに、森南海子さんは「縫ってはならなかった」と書いている。

 「銃後」といわれた女たちにも「責任」はある。

 かつて、『ノルマンディ上陸作戦』が開始された日に、有事法が成立しました。


■文化再び                  6月4日(水)

 昨日はコリアのポジャギについて。

 今日はキルトの広がりと可能性について。

 キルトは「縫う」ことです。そして、職業としての「縫うこと」は末端のお針子を含め、数少ない女性の仕事でもありました。家庭内における「仕事」としての「縫い」は当然女性の仕事でした。その営々とした作業の中に、女性達はそれぞれの民族、土地、の文化をも伝えています。

 20世紀。急速な工業化と資本主義は「縫う」ことにおいても進みました。衣類をはじめ、家庭内で使用するさまざまな布を「縫う」ことから、女性はある意味において、「解放」され、また、「遠ざけられ」たのです。工場で生産された「衣類」を身につけること、自分ではない誰かがデザインしたものを「選択」すること。それが、「進歩的」であったり、「中流以上」のステイタスであったりしたのです。しかし、そのことは同時に、それまで伝えられてきた「縫う」文化を失うことでもありました。

 資本主義の国、アメリカにおいて、キルトが「必要」からではなく、「文化」として見直され始めたのは1970年代のこと。

 そして、キルトをきっかけとして、さまざまな「縫うこと」が再発見されました。それは、あるいは前衛的な「表現」としての手段として。また、それぞれの土地や民族の文化の見直しとして。

 キルトは自由なものだったから。

 ポジャギがコリアのパッチワークなら、切り嵌めは日本のパッチワークです。そして、ヌビがコリアのキルティングなら、日本には「刺子」があります。また、インドには「カンタ」が。中国の雲南省の民族衣装のアップリケが。フランスにはブティが。南米にはモラが。さまざまな国にさまざまな『縫う』文化があることを見直す動きがあります。その文化の見直しは、同時に歴史の中の「女性」というものの見直しにも繋がります。

 今、私達が縫っている一枚のキルト。その自由さ、あるいは限界、それぞれに100年後の人たちへのメッセージ。それは決して、「工場」で作られる「ベッドカバー」には伝えることの出来ないものなのです。


■文化                     6月3日(火)

 知り合いに在日コリアンの人がいます。まだ、ポジャギが日本でそんなにもてはやされていない頃、彼女のお母さんが縫ったポジャギを見せていただいたことがあります。それは醤油色に染まっていました。日本に強制連行された人同士が、日本で結婚し、子供が生まれた。戦後、日本において、コリアンであることは生活の苦労が常に付きまとうということでもあった。どんな端布も大事にして、縫いつないでポジャギとして再生し、生活の中で使っていた、その名残の茶色いポジャギ。

 しかし、そのポジャギの縫い方も、チマ・チョゴリの縫い方も、その人は娘に伝えなかったそうです。「そんなものを知っていれば、コリアンであることがわかる」から。

 あまりに悲しいことではありませんか。私の知人である「娘」は東京に住み、自分の周囲の仲間達を見たとき、同じように自分達の文化を途切れさせようとしていることを知りました。彼女はささやかなグループをつくり、自分達の文化のひとつである「ポジャギ」を縫い始めました。

 その頃、キルトのほうで、世界のパッチワークの一つとしての「ポジャギ」に目が向き始めていました。「アメリカン・キルトだけがキルトやパッチワークではない」と。韓国でもパッチワークキルトが盛んになり、自国の文化の見直しもされるようになってきていました。

 ポジャギが一つの縫うことに関する「文化」として、キルトの世界に認められたのです。日本人の中にも「ポジャギを習いたい」という人も現れています。黒羽志寿子さんなどもポジャギを縫っておられます。

 さまざまな思いを込めて、今、私の知人はポジャギを縫っています。それは自分の母たちが縫ったものよりも遥かに美しい布を使ったもの。生活のにじみ出るようなものではない。しかし、彼女は自分の「文化」として次世代の娘たちに伝えるため、彼女の思いを込めて、布を縫いつないでいます。

 私達も次の娘たちに伝えるべきことがあります。


■ちわわ                    6月2日(月)

 テレビのCMのおかげで、まちのペット事情、「チワワ人気」がすごいのだそうです。確かに、例のチワワは可愛い。

 しかし、しかしです。いくらペットが可愛いからって、洋服も着せたいからって、「うさぎの着ぐるみチワワ用」って、そりゃないでしょう。ペットにうさぎを飼いたいならばうさぎを飼えばいいじゃないですか。犬にバニーの耳つけて、なんかヘン。

 今日ちょっと入った本屋で立ち読みした「ペット」の雑誌の「特集」に唖然とした店主です。それとも店主が「オクレテル」のでしょうか?

 手作りが好きな店主ですが、「犬用着ぐるみ」は実物大型紙があってもつくりたくない、と思っております。