| ■神無月 10月25日(土)
今月は神無月、と言ってもこれは新暦でのことで、旧暦ではまだ長月。出雲では神無月に全国の神様が集まるので神有月というそうな。祭事は全て旧暦なので、ただいまはまだ神有月とはいわないようです。
出雲に全国の神様が集まるので、さぞやにぎやかなお祭があるのではとおもいますが、さにあらず、出雲の方々はひっそりと息をつめるようにしてこの月を過ごすのだそうです。新しく家を建てるなどということはご法度とも聞きます。トンテンカンとうるさいから、神様に失礼だということ。まあ、律儀なことです。
全国から神様が集まるのだから、縁結びも効果絶大なのでしょうか。それとも、反対に縁きりの神様もおいででしょうし、なかなかうまくいかないのかな。
店主が今神頼みしたいこと・・・一日をあと12時間増やしてください。24時間でもいいです・・・・
いったいなにをしているのでしょうね。「神は自ら助けるものを助く」です。ミシンの神様、どうぞよろしく。あまり不満をおっしゃられても困ります・・・
■生死 10月23日(木)
突然の悲報。友人のご主人が亡くなりました。52才。友人は40代です。お子さんは大学生と高校生の息子さん二人。脳出血だったそうです。
ただ黙して手を合わせるのみ。仲のよかった御夫婦でしたから彼女の悲しみを思うと慰めるような言葉もありません。
人の生死はわからぬもの。自分がここにいる不思議さは解けない謎。ただ自分のできることを、できるときにする、それ以外に何もない。
夫を失ったその悲しみが癒される時を持つことができますように。
■お細工物 10月20日(月)
17日の日記の件は、単純におなかが空いてたから、だそうで、「オトコって、どうして自分で食べ物を調理することができないんだろう」とあらためてため息。ちょいと、お湯沸かしてラーメンなどでも食べてればいいでしょ、と言うと、「ラーメンは食べた」とのたまう。要するに「おかずとごはん」が食べたかったらしい。いえ、これは店主の「夫教育」が悪かったのだと思います。店主の年代だと、まだまだ「男子厨房に入らず」は生きているかも・・・しかし、最近は男性も料理を楽しむようになってきたのですけどね。
さて、横浜キルトウイークにむけ、「縮緬」の布を使ってなにか「お細工物キット」ができないか、と考えています。一つはキルト結で゜すでに作りました「さくら袋」。あともうひとつふたつ、考え中です。現在のところは「風船袋」と「鶴袋」などを予定しています。もちろん、正絹でつくります。レーヨンやポリエステル、木綿の縮緬も販売されていますが、手触り、艶などで正絹がやはり勝ち。
桜袋も風船袋も鶴袋も布の裏にごく薄い接着芯を貼ります。これは縮緬というやわらかく滑りやすい絹物の布を簡単に扱うための秘密兵器。ただ、縮緬の風合いを失わないようにするためには、本当にごく薄いものを使わなければなりません。これがなかなか無い物なのです。八王子のキルトショップ「スノードロップ」さんではバイリーンという芯地の会社に別オーダーして作っています。店主はその芯地をいつもは使っています。しかし、他に無いだろうか、とただいま模索中。そのため、まだ「お細工物」はできていません。
しかし、お細工物のかわいらしさは女性の心をくすぐります。このお細工物は江戸時代中期、世の中が平和で富裕層の女性達の手元に絹のはぎれが手に入るようになって、発達してきたものです。布を交換していろいろな色を集めたりもしたようです。これは今も変わりませんね。
■距離 10月17日(金)
距離が遠いと何事につけ会うのが大変。時間もお金も体力もいります。リアルな距離ではなく、精神的なあるいは心理的な距離と言うものも、なかなか自分が感じているようには相手は感じていなかったりして、大変。釦のかけ違いと言うものもあります。
好意と思いやりと相手に対する想像力、と言葉では簡単なのだけれど、実際には言葉ひとつが難しい。
よくはわからないのですが、ちょっと距離のある妹のうちに行って、帰ってきたら、亭主の機嫌が悪い。原因が不明です。無言です。???
ひとこと言ってくれればわかるのにと、そのうちにこちらも腹がたってきたりする。
おーい、なんか言ってみて。
■アンティーク 10月14日(火)
アンティーク、骨董というものの価値はどうして決まるのでしょうか。店主にはよくわかりません。要は需要と供給のバランスの問題に尽きるのしょうけれど。ふと思うのです。時間がモノに物語を与え、人は物語を感じてモノに引き寄せられるのだと。
特に何の変哲もない、しかし、少し傷がある赤い染めの琥珀。これは別名「海の琥珀」といいます。アフリカの海辺で拾われて、アフリカの人によって染められ、ビーズ玉として丸く加工されたものです。そんなに古いものではないでしょう。アンティークというには、少々新しいかもしれません。また、そんなに高価なモノでもありません。
でも、アフリカの海の底で気の遠くなるほどの時間をかけて樹脂が琥珀となり、それが海辺で拾われ、アフリカの誰かが加工して赤い玉にして。飾りとしてか、はたまた魔よけとしてか身に着けられていたものがばらばらになり、市場で売られたものが日本の骨董屋まで流れ着き、今は店主の掌の上で鈍く光っています。それはすでに物語。
そのとろりとした赤に魅かれたのですが、色もさりながら、店主も時間の紡ぐ物語の端に繋がりたいと思ったのかもしれません。
■つくりだされたもの 10月13日(月)
大阪の天王寺という繁華街で、ビルの建築工事中に太平洋戦争時の空襲不発弾が発見されたとか。信管もまだついていたため、半径300メートルの人達が避難する中、処理は無事に終了しました。東京でも店主がこちらに住むようになってからのこと、N市で不発弾処理がありました。店主が東京にきてすぐの頃に住んでいたごく近所のことです。
戦後と言われることすら、違和感があるような現在も、いまだにこんなものが「生きている」と大阪の主婦らしき人が嘆いていました。確かに、それは忌まわしい戦争が確かにあったという証拠です。そして、その爆弾は60年ちかい年月がすぎてもなお殺傷力を持っていた。その不気味さに人はおののく。
今、中東と言われる場所に何発の不発弾が埋もれていることでしょう。地雷はいくつあるでしょう。それらによって何人の人が死ぬでしょう。あと、60年のうちに。
かの地では昨日も自動車による爆弾テロがありました。「戦争は終わった」と言われているのに。憎悪もまた作り続けられている。
作り出してしまったものを始末することよりも、作らないということもまた一つの選択肢。しかし、それは不可能な事なのかもしれません。人という生き物の性を思います。キルトというやはりものを作る作業をしつつ。
■着物Relive 10月11日(土)
ちょっと素敵な言葉をみつけました。
最近古い着物を洋服に作り直す事が流行っているようです。昔、着物は洗うために解き、再び傷んでいるところなどを修復して新たに縫い直しては着て、傷みぐあいにより子供のものにしたり、布団側にしたり、座布団に、小物類のたぐいに、そして最後はぼろ雑巾として使い切ったものでした。ですが、工場で糸や布が大量に生産されるようになり、布も糸も「消費」されるモノとなりました。その結果、暮らしの中で縫う技術も忘れられ、着物を縫い返すということはまずされなりました。
着物も普段に着るものではなく、なにか改まったときのための衣服になっています。その中で、昔誰かが普段に着ていた古い着物の柄が新鮮に映る。そして、着物を洋服にという流行が生まれました。それはどこかで昔の「使いつぶす」感覚に通底するものがあるようで、実はまったくあたらしいこと。
なぜならわざわざ古い着物を買って作るものだったりするからです。
しかし、それを仕事にしている方もいます。そのお一人であるかたの言葉でタイトルの「着物Relive」という言葉をみつけました。
古着として出てくるものはいろいろですが、彼女は着物のリサイクルではない、といいます。着物という布をよみがえらせるReliveであると。「着物をよくつくり、買ってもらって、着てもらって、『ああ、気持ちのいい素敵な服』といってもらって初めて、仕事をしていることになる」と言います。
素敵ではないでしょうか。リサイクルではなくて、リライブ。
■工房からの風 10月6日(月)
突然に思い立ってネットでみつけたイベントにでかけました。もと、ニッケ(日本毛織)の工場の跡地につくられたモールの周辺で、モノの作り手たちが集まり、自分の作った「作品」を展示販売する、というイベントです。
イベント自体は珍しいものではありませんでした。参加者も若手からある程度の年齢のかたまでバラエティに富んでいます。モノもガラス、陶器、人形、織物、刺繍、銅器、糸、染め、フェルト、木工など、これまたある意味においては珍しいものではありませんでした。
モノを作る作り手の思いはさまざまです。しかし、モノが売れなければ生活はできません。モノの作り手達は、そのほとんどが「モノをつくるだけ」では生活できない。それは彼らの作るモノが高い値段になるので「売れない」ということが原因の一つです。輸入されたり、工場で生産されたりする商業ベースの大量生産品の価格とは競争はできません。量的にも同じように作る事は不可能です。で、「個性」とか「デザイン性」とか、「一点もの」などのコピーをつける。そして、値段を高くする。そうすると、なかなか「売り物」としては難しくなる。
それはそれでいいのですが、その作られたモノが、どこか「専門家の作品」と「素人の趣味」の間を標榜している用に見えるのはなぜだろう、と思います。
作り手たちのかなりの人達は若いひとです。だからでしょうか。
作り手がモノ作りだけをしていないからでしょうか。彼らの生活のためには他の仕事をせざるを得ない状況もあります。
作品が暮らしの必需品ではないからでしょうか。必需品ではないにも関わらず、それらは暮らしの中でしか存在できないようなモノに見えます。
イベント会場では、ショッピングモールに買い物にきた親に連れられたこどもたちが、元気に土をこね回したり、木にかんながけをしていたり、楽しそうでした。大人達もフェルトを作ったり、腰機織りをしたりしている人、それぞれに楽しんでいる気配でした。 ひとは「どうしても必要な物」は作り出して来ました。作る楽しみもあります。日常に作るという行為は必ずあります。ひとが忘れているとしても。その楽しみを思い出すために、こういうイベントはあります。
ものを作る事の楽しさを、体で思い出すことのために、秋の晴天の一日があったのです。モノの作り手たちも、そう思ってこのようなイベントに参加しているのでしょう。
■いろいろ 10月4日(土)
ここの所日記の更新が滞っておりまして、友人関係から体調でも崩したかという心配をいただきました。ありがとうございます。店主は元気です。
九月の終わりにリンク先のひさぎさんが札幌から上京されました。彼女の作品展が来年あることは以前に日記でも触れされていただきました。
その作品展に関するいろいろなマネジメント、ならびにプロデュースのようなことを店主がいたしております。そのため、今回の上京にもすべてお付き合いさせていただきました。また、作品展の展示レイアウト、宣伝、協力依頼などのもろもろのご相談もさせていただきました。くちうるさい店主です。ひさぎさんはとてもおとなしい方なので、少々店主のおばさんぶりが気になるところです。しかし、おとなしいばかりでは作品展は出来ない!!と店主は奮迅しております。
また、横浜に向け、雑用も含め仕事が忙しくなってもまいりました。そのため日記の更新がとどこおりがちです。しかし、「便りのないのはよい便り」とおぼしめし、よろしくお願いいたします。
さて、店主がかくもひさぎさんの『ゆびぬき作品展』に力を注いでいるかという理由なのですが、これは「日常における仕事」「ものをつくるということ」について、現代という時代に生きる私達がいかにそれらをないがしろにしているか、ということを深く感じているからにほかなりません。暮らしの中でものづくりが「趣味」か「専門的なこと」かでしかないということの不幸を思います。
このことは店主がずっとキルトに関わってきた理由の一つでもあります。なかなか整理ができていないのですが、また時間のあるときにゆっくりと。
今日のところはこれにて。
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